日本語でおk

【文永の役】元寇(蒙古襲来)を考察【弘安の役】

4. 名無し三等兵 2009/11/16(月) 17:49:15 ID:+Ew98+lO

何故日本の勝利に終わったか、それぞれ理由を記せ
1.文永の役
2.弘安の役

6. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/17(火) 01:06:45 ID:???

>>4
日本勝利の理由は単純。
鎌倉武士の方がモンゴル軍よりも強かったから。

8. 名無し三等兵 2009/11/17(火) 07:40:48 ID:jcuj+bVB

>>4
1)三別抄の乱のおかげで日本侵攻が遅れたから
2)高麗人が戦闘に消極的だったから

現代の日本史教科書ではこれが現実w

5. 名無し三等兵 2009/11/16(月) 23:07:56 ID:7d6TQNNx

ちなみに、今なら東京国立博物館で蒙古襲来絵巻が見られますよ。
まだ見てないかたはどうぞ。

10. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/17(火) 13:27:49 ID:???

自衛官が考察した本があるべ。
それをテクストにして話し合うか?

11. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/17(火) 15:27:28 ID:???

>>10
自衛官も基本的に学者が提示した情報からしか考察できないからな。
相手の配ったカードでポーカーしてるみたいなもので、もとの情報でインチキされていたら
お手上げなんだよね・・・

12. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/17(火) 18:42:28 ID:???

>>11
軍事的に考察した結果、「もとの情報インチキ」あるいは「疑わしい」って言えんものかね?
歴史学に詳しい人、教えてくり。

14. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/17(火) 20:36:11 ID:???

>>12
文永の役を軍事的に考察した結果、「一度上陸した軍が、優勢にも関わらず船に戻るなんてあり得ない」っていくら指摘しても平気で無視だからな。
これなんて、資料には明確に「劣勢の元軍が撤退するために船に戻った」と書いてあるのに、それすら無視なんだから酷い話だよ。

15. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 00:02:07 ID:???

>>14
上陸作戦自体は成功した。
会戦自体は激戦だったが元軍の勝利といえる。
しかし、日本軍を壊滅できなかったので日本軍は拠点で防御している。
間違いなく、日本軍は増援を受けて反撃してくる。
そうなれば、元軍に勝ち目はない。
反撃を受けないうちに撤退する。

経過はこのようなものだと思う。

実際の戦闘だけを見れば元軍優勢と言えるので、それだけ見て言ってるのじゃないかな?
時間がたてば劣勢になることが確実だから元軍の指揮官は撤退を決断したのだから。

16. 名無し三等兵 [age] 2009/11/18(水) 00:44:50 ID:???

>>15
その日のうちに撤退に追い込まれた上陸作戦の一体どこに成功と呼べる要素があるのさ?
あきらかに元軍の大惨敗だろ。

17. 15 [sage] 2009/11/18(水) 00:58:40 ID:???

>>16
二回目は上陸すらできなかったんだから、それに比べればね。
一応博多は確保したんだから上陸作戦は成功。
ただ、それで勝ち目がないようだと戦略的に無理だったんだろうね。

18. 名無し三等兵 [age] 2009/11/18(水) 01:08:09 ID:???

>>17
文永の役で元軍が博多を確保したなんて事実はないぞ。
鎌倉時代の史料とされている歴史書で、文永の役における博多の損害に言及したものは
一つも無いんだから。

21. 名無し三等兵 2009/11/18(水) 07:09:35 ID:L1tsPhIM

>>17
元軍兵力3万強のうち1万数千人が戦死・捕虜になったらしいが、
本当に上陸作戦が成功したなんて言えるのか?
さらにその博多も焼き払って次の日には撤収してるんだか
博多を確保してるなら焼き払う必要は無いだろ。

25. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 10:40:24 ID:???

>>21
1万数千人も戦死・捕虜になっていない、「未帰還」となっているだけだ
一回目の船はまっすぐ帰らず半年かけてインドネシアあたりをうろうろしながら
農機具といっしょに大量の人間をばら撒いて帰港している
その結果の未帰還

27. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 10:49:55 ID:???

>>25
船はまっすぐ帰らず半年かけてインドネシアあたりをうろうろしながら
農機具といっしょに大量の人間をばら撒いて帰港している
なんて訳ないだろーが。

26. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 10:47:47 ID:???

>>21
だから文永の役で博多が焼き払われたなんて記録は無いんだって。
歴史書だけでなく、筑前国続風土記みたいな地域史料調べてもそんなこと書いてない。
承天寺や櫛田神社の歴史に当たっても該当事実無し。
完全な作り話だぞ。

29. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 11:03:50 ID:???

>>26
要するに一回目は元軍と戦闘があったことさえ怪しい、ってことは認めるんだな

まともな戦闘もないのに、どうやって1万数千人も戦死・捕虜にできるんだよ?

30. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 11:09:30 ID:???

>>29
一回目で戦闘があったことは記録がある。
元軍は赤坂で日本軍に負けて敗走。
1万数千人が戦死・捕虜になっても何の不思議もないよ。

19. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 03:39:30 ID:???

だいたいモンゴル人なんか対日戦にほとんど参戦してなんかいない
ほとんど金や高麗の人間
弘安の時の江南軍は元南宋の屯田目的の元が戦後処理で困った老兵
武器以上に農具を大量に持っていた
元は本気で日本を攻めようと思っていたか疑わしい
まず防衛拠点を潰すために元やその他モンゴル諸国が必ず随伴してるはずの攻城兵器が全くない
(当時日本に城はないという馬鹿はスルー)
次いで海上から上陸した対ベトナム戦ではドゴンら高級指揮官多数が敵の捕虜になっているのに
日本が捕虜にした高級指揮官は一人もいない

それに元にとっては征服したとてなんら利益の出ない対日なんか副次的目的でしかない
元にとって最大の関心事は同じ同族のチャガタイ・ハン国ら反フビライ勢力と西方との交易路の保全
ついで弘安前までは南宋の征服だ

ほとんど金、南宋、高麗の兵だとするのは
だいたいモンゴル人が当時何人いたと思うんだよ
今のモンゴルの人口考えてみろよ
今1億3000万の日本は戦国期1500万しかいなかったんだぞ
対日戦は単なる虚仮威しと殺されて構わない南宋の敗残兵処理に過ぎぬ
第三回遠征予定の建造した船舶を全て対ベトナム戦につぎ込んだことでもわかる

34. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 12:21:01 ID:???

通常、戦闘では負傷者は戦死者の3倍は出るけどね
その戦死者の多くは暴風雨での溺死者だろ
捕虜の多くは戦闘結果でなく暴風雨で乗船を失い帰れなかった者たちだろうことは容易にわかる
貫通力ある弩、バリスタもなく、火炎をつけた壺を投擲できる投石機もなく
馬上鎗も存在せず馬蹄も存在しない重装騎乗弓兵主体の当時の日本の兵装では敵にたいした損害を与えられないのは明白
司令官クラスが1名の負傷者を含め全員撤収できているところを見ると
戦闘で戦死捕虜1万5千は眉唾もの

44. 名無し三等兵 2009/11/18(水) 22:25:02 ID:z2umSNc0

>>34
捕虜の多くは戦闘結果でなく暴風雨で乗船を失い帰れなかった者??
まだ神風信じてるって奴?
文永の時に暴風雨があったなどという確実な資料は全くない。
撤退翌朝に一隻が座礁放棄されてただけ、未帰還船の多くは帰る途中の
暴風雨によるものだ。
つまり勝っていたのなら元軍には"帰らなければならない"理由はなく、
それを撤退したと言うことは戦闘ーに負けていたとまでは言わないが
"予期したほどの戦果を上げられなかった"ということ。
戦術に劣る日本武士団が予想外の奮戦をし、それにより元軍が
予期しない損害を被り、司令官の忻都が述べてるように矢玉が尽きた、
というのが撤退の理由だろう。

38. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 14:10:43 ID:???

1回目は実質戦闘1日で船に引き上げてるし
上陸作戦成功してたら船に戻るわけないよな
日本側は九州の戦力すらまだ集結してなかったし
本州からも戦力を投入可能だった
元は増援を投入するにも船がないし
どうやっても日本の勝ちだろ

39. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/18(水) 14:19:25 ID:???

で2回目は戦闘開始から1月もたってから台風で全滅
てことは、1月戦っても上陸できなかったということ
やっぱり日本の勝ちだろ

45. 名無し三等兵 [age] 2009/11/19(木) 03:42:42 ID:???

もし元軍が緒戦を上手く勝ち越せたら九州くらいは占領する気合で攻めて来たのかな?
有力な騎馬軍をもってるのになぜ防備体制のある博多湾を主攻にしたのかがわからない。
普通は離島や防備の手薄な港を占領して橋頭堡を確保した後に陸海合同で博多へ進軍する。

46. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 07:13:51 ID:???

>>45

有力な騎馬軍は連れていけなかったんじゃないか?
当時の船で多数の馬運ぶのは大変だろう

49. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 08:55:28 ID:???

>>46
モンゴル軍が騎馬軍連れてないわけないじゃん。
1271年時点で朝鮮半島に対日戦用に配備されたモンゴル軍6000は、1人当たり馬3頭を所持する完全な騎馬部隊。
モンゴル帝国は当時朝鮮半島から海上約100キロの済州島に馬の牧場作って、そこから普通に船で多数の馬を運んでたんだよ。

58. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 13:19:46 ID:???

>>49

> 船で多数の馬を運んでたんだよ。
ソースくれ
合戦絵巻だとほとんど歩兵で、騎兵は一部だけだったけど

48. 名無し三等兵 2009/11/19(木) 08:22:57 ID:qSEeiisX

>>45
文永弘安ともに壱岐対馬を好きなだけ荒らし回ってはいるがね…
さらに両回とも博多以外を攻撃する様子はあるのだが
何故か博多に戻ってきてしまう。

60. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 14:49:20 ID:???

赤坂の戦いでも日本側の騎兵200が2000の歩兵を蹴散らしてるな
日本側の活躍はほとんどが騎兵なのに絵巻も伝聞も蒙古は歩兵しか出てこない

63. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 16:24:15 ID:???

>>60
絵巻にはわりと蒙古の騎兵描かれてるぞ

66. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 17:35:55 ID:???

>>63
ネットじゃまるで見つからないけど、どこの元寇サイトで見れるのだろうか

67. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 17:44:58 ID:???

>>66
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/

麁原に陣取る蒙古軍の本隊に騎兵が多数描かれてる。
あと、高麗に配備されていた元の騎兵部隊6000のソース。

高麗史27卷-世家27-元宗3
今計正軍六千人所帶馬率以一人三匹爲計則凡一萬八千匹

71. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 18:28:41 ID:???

>>67

高麗に配備されてても、九州まで連れてこれなきゃ意味ないような。

73. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 18:40:03 ID:???

>>71
高麗に配備されていたのは日本侵攻のための部隊なんだから当然九州まで連れてきただろ。

74. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 18:55:50 ID:???

>>73

高麗の降伏1270年
三別抄滅亡1273年
文永の役1274年

占領したばかりの国をがら空きにして、全軍侵攻って、どんなゲーム脳だよ

76. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 19:11:08 ID:???

>>74
高麗は親モンゴル国家だから問題なし

78. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 19:23:21 ID:???

>>74
> 高麗は親モンゴル国家だから問題なし
それはさすがに朝鮮人にたいして失礼だろ
それじゃ、占領されたらすぐに尻尾ふるヘタレじゃんか

75. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 19:10:16 ID:???

>>67
それって
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html

のこと?
これは有名だよ
皆、別に元に一騎もいないとは言ってないと思うが

69. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 18:14:11 ID:???

文永の役は大宰府攻略を目的とした侵攻作戦でしょう


撤退の理由は
1、対馬、壱岐による虐殺、予定にない長期滞在によって物資を消耗した。
『我が軍は整わず、また矢が尽きたため、ただ四境の日本人を虜掠して帰る 元史日本伝』

2、武士の抵抗により指揮官が重傷を負うなど自軍に予想以上の消耗と被害を受けた

3、明日以降の武士の増援を恐れた
『忽敦曰 兵法小敵之堅大敵之擒 策披乏乃兵 敵日時之衆 非完計也 不若回軍 復亨中流矢 先登船 遂引兵還』

などの事情によるもの
単純に元の敗北でしょうね

81. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 19:30:29 ID:???

高麗が親モンゴル国家なら、なんで戦って負けて占領されたんだ?

84. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 19:43:39 ID:???

>>81
モンゴルと戦った時の高麗と占領された後の高麗は政権が違うから。
モンゴルと戦った時代は崔氏という武臣勢力が実権握っていて王朝は傀儡に過ぎなかった。
ところが、高麗王朝はモンゴルの高麗占領を利用して、それに取り入ることで武臣勢力を一掃。
権力奪取に成功したわけ。
だから高麗王朝は親モンゴル政権なんだよ。

85. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 19:51:45 ID:???

>>84

なるほど。
でも、降伏からの期間が短すぎないか?
モンゴル側がそこまで信用するとは思えんのだが。

87. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 20:00:01 ID:???

>>85
降伏の後、高麗王朝は文永の役の1274年に更に代替わりしてるから。
新たに即位した忠烈王は、わざわざモンゴルへの忠誠示すため名前に「忠」の字入れて、
フビライの娘を妻に娶り、服装までモンゴル式の衣装にしてた。
命じられてもいないのに勝手に日本侵略用の兵船を建造して、「さあ日本に攻め込みましょう!」
って言いにくるような奴。

93. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/19(木) 22:48:34 ID:???

文永の役の3万程度の兵力じゃ、どうにもならない。
60年後には、足利尊氏が九州を中心にして十万以上の兵力を集めて京に進撃してる。鎌倉幕府の動員可能な兵力はそれ以上。
最初から弘安の役ぐらいの兵力を投入してれば、九州の北部を一時占領するくらいは出来たかもしれないが、いずれ叩き出されてる。

99. 名無し三等兵 [age] 2009/11/20(金) 06:12:46 ID:???

>>93
ならば、60年後に幕府軍10万をわずか500か1000で翻弄した楠木党だけで元寇は余裕で防げそうだな

102. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/20(金) 10:37:38 ID:???

>>93
3万程度の兵力って、この時代の常識だと1国の征服を十分狙える数なんだよ。
1066年にイングランドを征服したウィリアム征服王や、1204年にピザンツ帝国を征服した第4回十字軍は、もっと兵力少なかったんだから。
普通なら3万あれば最低でも九州くらいは征服できると考える。
撃退した日本が凄すぎるんだよ。

103. 名無し三等兵 [age] 2009/11/20(金) 11:29:02 ID:???

>>102
確かに完璧にモンゴル軍を撃退した国は日本だけだな
欧州や中東を含めみな蹂躙されたのにね

101. 名無し三等兵 [age] 2009/11/20(金) 10:32:27 ID:???

>>93
兵の数だけでは計れない
数が全てならスペインがインカを滅ぼせない

107. 名無し三等兵 2009/11/20(金) 12:27:21 ID:ykm5tlf2

>>101
インカの場合
・疫病持ち込まれた。
・王様あっさり人質に
・インカ滅亡の伝説と状況が酷似していて士気がほぼゼロに。

というファクターがデカいからな。
勿論、戦術や装備の差も大きいが
同じように戦術と装備に差があったマゼランは
原住民に討ち取られてるし

133. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/21(土) 12:43:48 ID:???

>>107
あと騎兵。
数万のインカ軍がピサロ軍の数十騎の突撃であっさり崩壊する程免疫がなかった。
スペイン人は「危機的状況に陥ったとき、我々を救ったのは常に神の加護と馬だった」という旨の述懐を残している。

108. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/20(金) 12:58:04 ID:???

インカは鉄製の武器が無かったのが大きかったんだよ。
アメリカ大陸は建築技術とかが発展していても軍事技術は石器時代のままだった。
反対にアフリカは鉄製武器が普及していたおかげで、征服されたのがアメリカよりもかなり後になってから。

113. 名無し三等兵 [age] 2009/11/20(金) 15:38:37 ID:???

鎌倉期の日本の人口(琉球・アイヌを除く)は1500万人くらいだろ。
元が攻めた周辺国家の中では飛びぬけて大国だった上になれない船旅。
補給や備蓄などの準備もそこそこにこの程度の戦力での侵攻作戦は
戦略的は無謀の一言だね。

136. 名無し三等兵 [AGE] 2009/11/21(土) 14:25:52 ID:???

モンゴル帝國にすれば支配下民族主体の軍による遠征であり敗戦による政権へのダメージは少ない

139. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/21(土) 16:12:01 ID:???

>>136
>モンゴル帝國にすれば支配下民族主体の軍による遠征
帝国とは、そういうものだろ。帝国なのに単一民族で構成されてる軍なんて珍しいだろ

137. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/21(土) 15:12:37 ID:???

実は政権へのダメージが滅茶苦茶大きかったんだが。

『中国史のなかの日本像』 王勇著
「また一方では、第二次の日本遠征(「弘安の役」)により、元は宋から接収した海軍力をほとんど失い、その結果として海防の弛緩を招致してしまった。十四世紀の初頭から、広州・泉州・慶元(明州の改称)の市舶司の置廃が幾度となく繰り返されたのは、沿海地域の防衛問題が深刻になりつつあった証拠である。
注意すべきは、これらの海防策は主として日本の動向に対して講じられたことである。」

138. 名無し三等兵 [age] 2009/11/21(土) 15:23:43 ID:???

>>137
既に倭寇のはしりが活動開始していた
倭寇の構成は北部九州から瀬戸内の海賊を中心に対馬壱岐伍島島原天草薩摩の民が参加している
後年になり巨済済州琉球奄美等の海賊をも参加している

186. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/23(月) 14:47:08 ID:???

つーか元寇って数万のドルジが攻めてきたようなもんだろ?
想像しただけで怖いわ

188. 名無し三等兵 [age] 2009/11/23(月) 15:41:55 ID:???

>>186
朝青龍みたいなのばかりじゃないと思うけど、小柄な日馬富士くらいは標準かも

189. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/23(月) 15:44:59 ID:???

>>188
大きな人は船に乗せられなくて、痩せた兵ばかりだったっておじいちゃんが言ってた

190. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/23(月) 16:05:00 ID:???

おいおい
騎馬武者あいてにドルジならむしろ的が大きくて好都合でしょ

さくさく矢が当たって終わり


http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。

199. 名無し三等兵 2009/11/23(月) 22:12:23 ID:cs3cxLFv

絵詞みると>190みたく日本武士団は結構活躍してるんだよね!
「集団戦術と火薬兵器に手も足も出ず惨敗」なんて記述が左翼系歴史書や
日教組推奨教科書には堂々と書いてあるが、モンゴル軍がそんなに楽勝した
ならなぜ撤退したのかと小一時間問いつめたいわ。
劣勢の日本軍が精強さを発揮して激しく抵抗し、予想外の損害を受け苦戦
したから撤退した、というのが軍事的に見て妥当だろ。

201. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/23(月) 22:25:07 ID:???

>>199
>「集団戦術と火薬兵器に手も足も出ず惨敗」
おれの学生時代の教科書にもこう書いてあったわ
まあ、教科書つくっているやつら自身が歴史に関して教科書レベルの知識しかないんだから仕方ないわ

205. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/23(月) 22:49:33 ID:???

つーか、教科書がおかしすぎ
集団戦術は当時の日本においても十分に確立されていたんだがな
なにを根拠にそう表記してるのだろうか

207. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/23(月) 23:32:50 ID:???

>>205
転写ミスが根拠らしいよw


336 :世界@名無史さん[sage]:2008/04/01(火) 23:14:50 0
ちなみに、元寇で武士が蒙古に一騎打ちを挑もうとしてフルボッコにされたという
有名な逸話も八幡愚童訓が唯一の根拠なんだけど、これも転写エラーだから。

八幡ノ蒙古記
「高名せすんは、一命かきり勝負とおもふ処に」

菊大路本
「高名不覚ハ一人宛ノ勝負ト思フ処」

どの元寇関連本も八幡愚童訓を根本史料としてる癖に、その根本史料に関する
まともな説明が一切無いのはこういう事情。
今までの定説が全部ひっくり返っちまうからなw

240. 名無し三等兵 2009/11/25(水) 12:57:20 ID:55YXrgq+

>>207

面白いね。
通俗的な日本史理解でいちばんひどい誤りかもしれん

222. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/24(火) 11:26:30 ID:???

日本が元に対して権威を認めてなかったってのもある
「は?おまえどこの無礼者だ?」ってなもんで

というか新参がこんな無礼な手紙よこせば日本にへそ曲げられて当然

国書の和訳DQN風味
上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
 王其圖之不宣「じゃーな!」
    至元三年八月 日
東大寺蔵

まさにDQN

223. 名無し三等兵 [AGE] 2009/11/24(火) 11:48:12 ID:???

>>222
しかし当時の諜報能力凄いね!
元朝の侵攻日時も規模も把握してないと
あんなに上手く迎撃出来ないだろう
二回も緒戦の水際で撃退してる実績から見て紛れ当たりでは無い

250. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/26(木) 21:06:13 ID:???

学校の教科書には神風(台風)が来たから勝てたと表記されていたが、来なくても大丈夫だったんじゃねと思うのは俺だけか?

251. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/26(木) 21:22:15 ID:???

>>250
コーエーのジンギスカンシリーズの攻略本で「もし神風が吹かなければ」ってIF戦記があって無事合流した元軍に九州北部は制圧されてそのまま京都にまで侵攻されるも総動員かけた日本軍との決戦で結局敗北するって流れでなかなか面白かったな。

253. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/26(木) 22:34:06 ID:???

>>250
むしろ、歴史関連のスレや掲示板に書き込んでる奴は
俺含めて、みんなお前さんと同じ認識だよ。
余所ならともかく、この手のスレで
今時一騎打ちとか神風とか言ってたら笑い飛ばされるぜ

252. 名無し三等兵 2009/11/26(木) 21:44:30 ID:ZHHK1H80

>>250
文永は水城までは攻め込まれたろうがそこで拒止
弘安は石築地で上陸阻止できただろう。
上陸地を別の場所に移せば上がられたろうが、兵站の問題からも
元軍がそんなに前進できるとは思えない。

254. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/26(木) 23:09:33 ID:???

>>252

水城までこれないんじゃないか?
むこうは背水の陣とかいってるし
矢も尽きてたそうだし
日本側の戦力はどんどん集結中だし
撤退してなかったら翌日か翌々日には潰滅してる予感

287. 名無し三等兵 [age] 2009/11/28(土) 09:06:20 ID:???

人類の戦術の進歩は常に騎兵(戦車)と歩兵の戦術が交互に優位に立ち進歩して来た
ファランクスしかり斜行陣しかりチャリオットしかり蒙古騎兵しかり
日本では軽騎兵のみの機動運用戦術は義経が源平合戦時代に確立してる

316. 名無し三等兵 [sage] 2009/11/29(日) 14:45:08 ID:???

>>287
資料から見れば赤坂あたりの菊池勢の戦い方は騎馬のみっぽいな

317. 名無し三等兵 [age] 2009/11/29(日) 21:55:16 ID:???

>>316
騎馬隊が連日戦闘参加するには替え馬や飼い葉の手配や馬具の補修など後方支援が必要

373. 名無し三等兵 2009/12/02(水) 16:10:12 ID:/ZM2KeAR

みなさん非常にお詳しいので参考になりますが、
元寇(蒙古襲来)に関して、良い本などありますか?
白石一郎の『蒙古襲来』は読みましたが、多くの
謎に対する考察は十分ではなかったので、教えて
もらえれば助かります。

375. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/02(水) 16:45:17 ID:???

>>373
旧日本軍陸軍少将の竹内栄喜が昭和6年に書いた『元寇の研究』が良い。
最近の本だと、元陸将補の松村劭が書いた『海から見た日本の防衛 対馬海峡の戦史に学ぶ』かな。

471. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/03(木) 23:59:05 ID:???

>>373
文永・弘安の役前後のモンゴル帝国・大元朝については、講談社新書の杉山正明『モンゴル帝国の興亡』(上・下)が通史として使える。ただ、文献リストが無いので、中央公論社の『世界の歴史9 大モンゴルの時代』あたりも使いつつ読むのが良い。あと、著者(杉山先生)の叙述スタイルがえらく癖があるので注意。
NHKの『文明の道』のモンゴル帝国の回のムック本とか、絶版したものだが同じく20年程前にNHKスペシャルで放映した『大モンゴル』のムック本三冊なんかモンゴル帝国の支配体制とか軍政などについても基礎的な知識が得られる。専門的なものだったら、本田実信、村上正二、岩村忍など、割と多くあるので、図書館などで見付けると良いかも。
これも絶版したが、月刊『しにか』2003年11月号:特集「モンゴルの衝撃」が、色目人問題など、現在の研究水準でどれだけ解明しているか各研究者が用量良く纏めているので(できれば)必見。

元朝時代の江南史については植松正、堤一昭などがここ10年くらいで色々詳しい研究があるが、『岩波講座世界歴史 10 中央ユーラシアの統合』とか『宋元時代史の基本問題』 なんかが取っ掛かりと良いかも知れない。

同じく、絶版になったが中公新書(80)の旗田巍『元寇 -蒙古帝国の内部事情』がモンゴル帝国による侵攻から文永・弘安の役での高麗の情勢について一番詳しい概説書。ただ、1970年発行の著作なので、著者が折に触れて「民族自決」云々なことを述べていて、60〜70年代の時代を感じさせる文体。

武田幸男編訳『高麗史日本伝 - 朝鮮正史日本伝 - 』全二冊、岩波文庫なんかが最近出た。
岩波文庫の『高麗史日本伝』は註が充実していて、割と最近のモンゴル帝国史研究の成果なんかも反映しているので、本文中に出て来る語彙の意味を理解するのに役立つ。
最近の大元朝時代の高麗についての研究では、森平雅彦などの論文が最近目覚ましい成果をあげている。『史学雑誌』などに掲載されているものもあるので興味があればそちらも。

480. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/04(金) 08:52:38 ID:???

博多湾に限らず大概今より海が食い込んでいたパターンが多い
戦後の埋立は論外として、私たちが知っている「自然の」海岸線も
歴史を紐解くとたいてい江戸期を中心に開拓がすすんで形成
されたものだったりするので、古の軍記を語るときには注意が
必要。

483. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/04(金) 14:29:44 ID:???

元軍は平戸方面を橋頭堡にして博多から太宰府を攻略し南は佐賀や久留米、東は小倉や門司くらいまで押さえる気だったのかな?
それにしたら投入戦力が少ない

484. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/04(金) 15:55:53 ID:???

まともな水軍を持たない当時の日本を攻めるのなら対馬壱岐を攻略した後に
日本海を対馬海流に乗り東進し中継点として隠岐を攻略
若狭湾から京の都を直接狙うけどな
敦賀、小浜、舞鶴、宮津に分散上陸して、本隊は小浜から鯖街道を南下し、
敦賀の部隊が北陸道と中仙道からの援軍を遮断
舞鶴の部隊は福知山から回り道をして西国からの援軍を牽制
宮津の部隊は山陰道を西進して日本海沿岸を平定し補給路を確保する
本隊を五万、各隊は三万の十四万、小浜、隠岐、壱岐、対馬には各五千を駐留させる総勢十六万

493. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/04(金) 19:38:44 ID:???

>>484
よく知らんのだが、まともな水軍のない日本がなぜ2ヶ月も
上陸を阻止できたんだ?水際防衛だけでなんとかなるものなのか?
それとも弘安の役ともなると、まともな水軍が完成していたのか?

498. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/04(金) 20:51:28 ID:???

>>493

俺もよく知らんけど、準備したんじゃないか?
時間はあっただろうし
弘安の役では日本側の水軍が逆襲してるんだろ?

487. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/04(金) 18:03:36 ID:???

そもそも中世の水軍は
現代以上に陸軍のバックアップなしじゃまともに戦闘できない
これは元も同じ
外海を航行する能力と内海での操船能力や海戦能力は別で、
大陸と日本でさほどの戦力的有利不利はないので単純に強い方が勝つ
まあ壇ノ浦みたいなこともあるが

488. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/04(金) 18:41:26 ID:???

モンゴルが文永の役に投入した兵力って、中世の世界基準では圧倒的な大軍なんだよ。
コンスタンティノープル攻略してラテン帝国築いた第4回十字軍の約3倍。
この頃のピザンツ帝国の人口って日本より多かったはずなのに。

しかも文永の役は奇襲。
それが何の戦果も無いまま、1日で敗退って日本の即応力が凄過ぎだろ。
元軍対馬襲来の報の博多到着は14日なのに、それから6日後の20日には100キロ離れた熊本から、菊池勢100余騎が駆けつけて来て戦ってるんだぜ。

521. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/05(土) 01:55:53 ID:???

>>488
第四回十字軍の場合、神聖ローマ皇帝のもとに亡命して来たビザンツ帝国の皇子アレクシオスを復帰させることを名目にエルサレムからコンスタンティノープルへ出兵先が変更され、さらに皇子アレクシオスを擁する十字軍とビザンツ帝国軍との戦闘でも内応者の協力で戦闘中に開城。

アレクシオス4世が即位したものの、協力を得る時十字軍の軍資金を供出を約束し、資金捻出のため増税したがこれが先代皇帝の娘婿アレクシオス・ドゥーカスは反乱を起こして皇帝を殺害し、ドゥーカスも十字軍に捕らえられ処刑。アンゲロス王朝は断絶する。

文永の役とは事情が大分違う。

亀山天皇が兄の後深草天皇をクーデターで廃位し、後深草天皇の皇子、熈仁親王(伏見天皇)が高麗とかに亡命し、文永の役の時に大元朝や高麗の遠征軍に一緒にやってきて、大宰府あたりで内応者があって京都に進軍、即位したとかそんな展開に近い。勿論、そんなことは文永の役では無い。

他の地域ではどうだか知らないが、モンゴル帝国の境域地域の鎮守軍が行う領域外への遠征としては歩兵・騎兵合わせて3万前後は、割と普通。イラン鎮守軍で3万騎、同じくインド北辺のカシミール鎮守軍でも2〜3万騎だから、格別多過ぎるという程では無い。

495. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/04(金) 20:26:07 ID:???

モンゴル弓騎兵
「弓の引き重量は166ポンド(約75Kg)あまりで、
その殺傷できる有効射程距離は200−300ヤード(約187−274m)に達した」

俺なんかベンチプレス40kでもフーフー言うのに、半端ねー屈強さですな。

499. 名無し三等兵 2009/12/04(金) 20:56:00 ID:R6yH5qoG

>>495
同時代の武士達が引いていたのも
現代弓道やアーチェリーで使われてるものとは
全く比較にもならないほど張力の強いものだった。
昔の人って背は低いけど、力は確実に現代人の俺らより強いだろうな。

502. 名無し三等兵 [age] 2009/12/04(金) 22:05:01 ID:???

>>499
現代のアーチェリーの弓の張力は当時のものとは比較にならんよ。
悪いけど。滑車を使ってようやく引ける。

505. 名無し三等兵 2009/12/04(金) 22:16:29 ID:TGXE6kPC

>>495
日本と蒙古の弓矢を比較すると、
射程では、長弓>短弓なのが武器の常識だし、
矢の方も手間をかけ竹を撓めて作る日本の矢のほうが
ただの木製である蒙古の矢より軽く精度が高いのでぶれず、
射程・命中精度・威力の全てにおいて優るはず。
よく「蒙古の短弓は日本の弓より射程が長く威力も大きい」などと
書いてあるが、無知な歴史家のただの思いこみにすぎない。

580. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/06(日) 17:11:17 ID:???

どうやれば元って勝てたんだろうな?

584. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/06(日) 19:04:07 ID:???

>>580
補給線が細すぎで大軍の維持が困難な状況では厳しいだろ

586. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/06(日) 22:13:18 ID:???

>>584
日本は文禄・慶長の役で朝鮮半島南部を7年、十字軍は海岸沿いの都市を100年、
イングランドに至っては対岸のカレーを200年も維持してる。
中世の世界で海ほど太い補給線はないぞ。

592. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/07(月) 03:35:41 ID:???

>>580
陣取り合戦する限り元に勝ち目はない
現実的には元にできるのは一時的に大宰府を占領するのがせいぜい、
しかしいずれスタミナ切れで武士に奪い返されるので
そのたびに定期的に再攻撃して「いやがらせ」することだけだよ

それで幕府のほうが折れて朝貢
元にとってのハッピーな決着はこれ以外はほぼないだろうね

ただ、想像以上に武士は強気だったので、まあ何回やっても無駄だった可能性もかなり高いけど。

605. 名無し三等兵 [age] 2009/12/08(火) 01:12:11 ID:???

江南軍ってどうやって元の場所まで帰還したんだろ?半島から陸路かな?それとも船を修理して海路でかな?

606. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/08(火) 01:24:34 ID:???

>>605
江南軍の指揮官は無事だった東路軍の船に乗せてもらって半島へ行ったんだから、そこからは陸路だろ。
それ以外の兵10余万は日本軍の攻撃で全滅し、帰還できなかった。

607. 名無し三等兵 [age] 2009/12/08(火) 01:40:37 ID:???

>>606
ウヒャ!十余万の大軍が全滅なんて正直有り得るのかなぁ?

610. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/08(火) 01:50:05 ID:???

>>607
正直海ならありえるよな・・・
帰ってきたって記録が残っていないからな・・・
当時の船は今の漁船より遥かにチャチ
ちょっと波が出れば船体が持たない。
海上で待機してたらちょっとした低気圧でも全滅しかねんぞ?

611. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/08(火) 01:56:59 ID:???

>>610
海で全滅したんじゃない。
台風の後、船が無くなって九州近海の島々に取り残された10余万が、日本軍の攻撃で全滅したんだよ。

609. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/08(火) 01:49:36 ID:???

>>607
日本軍の攻撃で江南軍10余万全滅は、「元史」「高麗史」「元韃攻日本敗北歌」など
複数の史料で一致してるから、実際にあったんだろ。

613. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/08(火) 03:23:27 ID:???

>>605
鷹島に取り残されてるわけだから
逃げ場がない

5月21日 対馬襲われる
6月06日 博多に出現
同日   志賀島係留 大矢野種保軍ら夜襲
6月08日 大友貞親軍らによる攻撃
6月09日 東路軍海上へ撤退
6月13日 東路軍壱岐まで後退
6月29日 少弐経資軍ら壱岐の東路軍に追撃
7月02日 東路軍壱岐を放棄、平戸まで撤退
7月07日 潰走する元軍を島津長久軍+松浦党らが迫撃
7月27日 元軍耐えきれず徐々に鷹島へ敗走しだす
7月30日 台風
閏7月5日 鷹島にて元軍残党狩り。元軍敗北

614. 名無し三等兵 [age] 2009/12/08(火) 09:38:58 ID:???

十余万も首があったら恩賞が足らない訳だ(笑)
壱岐対馬に追撃したついでに半島南部や済州島まで攻めないと恩賞にする土地が無い

615. 名無し三等兵 [age] 2009/12/08(火) 11:04:54 ID:???

モンゴル帝國が十余万の遠征軍を一挙に失うなんて他に例があるのかな?
防衛側の幕府軍の動員した兵力も十万も無いのでは?
渡航進攻作戦って難しいな

619. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/08(火) 14:03:08 ID:???

>>615
モンゴル軍というよりは第二次大戦の枢軸側でいうところのルーマニア軍とかイタリア軍だったのでは?
勝って当然でしょ。

627. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/08(火) 19:54:58 ID:???

しかし10万人も鷹島などに取り残されて殲滅戦喰らう前に潰走した軍を立て直せなかったんだろうか?
関ヶ原並の大軍勢だぞ?東軍・西軍に対抗して蒙古軍として登場して勝ったら天下取れるぐらいの大兵力なのに・・・・指揮官無能すぎね?

636. 名無し三等兵 [age] 2009/12/09(水) 07:44:34 ID:???

>>627
仕方がない
この時点で主要な三人の指揮官(ヒンドゥとか洪茶丘)は味方を見捨てて残った船で逃走してる。


五日、文虎等の諸将、各々自ら堅好の船を択びてこれに乗り、
士卒十余万を山下に棄つ。
衆議して張百戸なる者を推して主帥となし、
これを号して張総管といい、その約束を聴く。
方に木を伐りて舟を作り還らんと欲す。
七日、日本人来り戦い、尽く死し、余の二、三万はそのために虜去せらる。

635. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/09(水) 06:35:44 ID:???

今から考えてみると、鷹島に退却したのは最悪の決断だったのかもしれんな。
10万人の将兵支える糧食があるわけがないのだから、損害を覚悟してでも
上陸して橋頭堡築くべきだったのでは。
補給さえ確保できれば10万人の軍をそう容易く撃破できん。
時代が変われば天下を取れるような軍が寸土すら得られず大半が殲滅されるか、
捕虜になりましたってひどすぎね?
せめて対馬ぐらいは放棄せずに、実効支配を続けていればまだ次につながっていたのでは。

639. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/09(水) 10:45:08 ID:???

人選を誤ったな。
モンゴルの将軍でマヂで恐ろしいのは郭侃、バヤン、史天沢。
このあたりはマヂでいくさがうまい。
長期の外征や水上戦の経験、ノウハウもある。
少なくとも、味方を見捨てて10万の大軍を損失させるような事は
なかったのでは。

640. 名無し三等兵 2009/12/09(水) 11:45:52 ID:QuHEqR6D

相手がバヤンなら棄民説厨も涌かなかっただろうね

641. 名無し三等兵 [age] 2009/12/09(水) 11:59:43 ID:???

日本を舐めて2線級の指揮官に大軍を与えたとはフビライは乱心したのか?
皇帝に成るために権謀の限りを尽くしたフビライとも思えんな
他のハン国への手前大敗はヤバイだろ

644. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/09(水) 14:19:06 ID:???

>>639‐641
それって結果論なんだよ。
バヤンだって南宋戦に大抜擢されるまでは全く無名の武将だったんだから。
元寇の指揮官は日本にボロ負けしたせいで2線級と評価されてるけど、洪茶丘や劉復享だって
対日戦以外では大活躍してる。
もし、元寇がなかったら後世では名将扱いされてただろ。

662. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/10(木) 13:41:02 ID:???

おまえらなら、当時の日本を制圧するのにどういう云うふうに攻めた?

665. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/10(木) 15:39:18 ID:???

>>662
まず朝廷を調略します。つぎに九州の豪族を調略します。
3万で攻めたら1日で負け10万で攻めたら上陸すら出来なかったので力攻めは無理です。
内から切り崩すのです。

673. 名無し三等兵 [age] 2009/12/11(金) 04:06:36 ID:???

旧渤海ルートで豆満江河口から津軽十三湖湊へ渡り東北地方から関東を目指す
藤原や清原や安東の残党を吸収し、白河関から関東を席巻一気に鎌倉を突く

676. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/11(金) 09:31:52 ID:???

>>673
何気に北方ルートもアイヌ人らの抵抗で失敗してなかったか?

678. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/11(金) 09:54:36 ID:???

>>676
それは日本を狙ったわけじゃない。
しかも作戦は成功。
元軍はアイヌをサハリンから追い出した上、1308年に降伏させてる。

679. 名無し三等兵 [age] 2009/12/11(金) 10:45:01 ID:???

>>678
農耕も牧畜も出来ない樺太を占領して何に成るのかなぁ?
狩猟採取生活で縄文文化を守って来たアイヌを征服して何に成るのか?
まさか樺太で採れる燃える水や燃える石が狙いか!

681. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/11(金) 11:18:44 ID:???

特にオコジョの毛皮や海東青という鷹狩り用の鷹の価値が高かったらしい。
サハリンが元軍に占領されていたことは、最南端に白主土城という元の城跡が残ってるから
疑問の余地なし。

708. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/12(土) 21:45:59 ID:???

>>681
一応、最近白主土城などの樺太の「方形土城」についての考古学的な発掘報告がいくつか出ているみたいだけど、(まだ自分も全部の報告に目を通した訳じゃないが)白主土城の成立年代は実はいまいち良く分かっていないらしい。(2004年度の報告だと)

発掘された土器・陶器片などが大元朝時代の物よりも、須恵器などの特徴が金朝時代の特徴を持っていたり、オホーツク沿岸で10〜11世紀に流行したパクローフカ文化期の文物が出土していたりするようだ。従来から大元朝時代のものとの見方もある白主土城だが、どうもそこら辺は怪しげな雰囲気。

あと、金〜大元朝時代の方形城址の特徴としては、四辺の方形の外郭の中央に門を設け、
      ┏━
╋━━━┛ ━━━╋  という感じに門の前は土塁と堀を「鉤の手」型にするのが普通らしいが、
白主土城の場合は、

┏━━━ ━━━┓   という感じで、門は無防備な状態になっていて、砦としての機能からすると防御性に疑問がつく。これは樺太の他の「方形土城」にも共通して見られる特徴だそうだ。

そもそも「白主」という名称が、アイヌ語で「日和見する場所」を意味する「シル・アン・ヌ・ウシィ」あるいは「岩があり漁も多い場所」を意味する「シラン・ヌ・ウシ」、「岩がたくさんあるところ」を意味する「シラル・ヌ・ウシ」など、いずれも主に交易や船に関わる語彙で解釈できることもあり、白主土城も間宮林蔵らがアムール川のデレンで見た満州仮府のような朝貢・交易のための方形施設との関係性を推測している。そのため、報告では「サハリンの土城は交易のための非日常的な場とみておきたい。」と推論をしているようだ。

682. 名無し三等兵 [age] 2009/12/11(金) 11:55:36 ID:???

樺太南端から肉眼でも見える北海道に侵攻しなかったのはなぜ?
北海道の方が樺太より豊かな土地なのは誰の眼にも明らか
そして北海道より日本の東北地方がさらに豊かな土地なのも明らかだけど

691. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/11(金) 17:42:06 ID:???

>>682
距離的に限界だったんじゃないの。
アムール川下流域にある東征元帥府自体、水運が利用できるのが暖かい季節のみで
維持が大変だったみたいだし。
そこから目一杯背伸びしてサハリン南端がやっとだったってことでしょ。

746. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/16(水) 10:46:32 ID:???

モンゴルの性格からして棄民はあり得ないな。
遊牧民って土地の所有には固執しないけど、人とか家畜とかは彼らにとって全財産だからな。
朝鮮や中国の土地だけ支配して、その住民を捨てちゃうなんてのは彼らのアイデンティティーの真逆の政策だろ。

747. 名無し三等兵 [age] 2009/12/16(水) 10:59:15 ID:???

>>746
人口が稀薄な草原と人口が多く定着性が強い温帯とは価値観が違う
直ぐに裏切り兼ねない民族には違った対応をするだろ
海軍なんかもモンゴルからすれば貰い物で失ってもそれほど重要では無いだろ

748. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/16(水) 11:11:47 ID:???

>>747
海軍は重要だろ。
フビライは手に入れた南宋艦隊使って東南アジアからインド洋へ支配領域広げようと意気揚々としていた矢先なんだから。
陸路征服できる国はほぼ征服し尽くしていたし。
モンゴル帝国は膨張し続けてることが求心力になっていたわけで、海軍失ってそれ以上の膨張が望めなくなると没落も早かったよな。

749. 名無し三等兵 [age] 2009/12/16(水) 12:10:09 ID:???

>>748
インドシナやインドはまだ陸路で攻めればいいじゃないか
皇子時代にフビライ自身が南蛮征伐に行ったはず
本格的海軍など日本以外は不要だよ
ジャワ、スマトラも島伝いに小舟程度で渡れる

754. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/17(木) 09:37:15 ID:???

>>749
フビライが陸路インドを攻めるためには、ヒマラヤ山脈越えなくちゃいけないんだが。
それに海軍なしで東南アジアを征服するなんて、兵站の負担が大きすぎて無理。
現実には中国の隣のベトナムですら本格的海軍が必要不可欠だった。
元のベトナム侵攻が失敗した理由は、弘安の役の大敗のせいで海軍が極度に弱体化してたからだよ。

755. 名無し三等兵 [age] 2009/12/17(木) 12:14:46 ID:???

>>754
雲南から大理を攻めて大理を拠点に南越やアユタヤやビルマを攻めたらどよ
ビルマを拠点にヒンドスタン平野に侵攻すればよい
もともとモンゴル軍はペンペン草作戦なんだし兵站負担は少ない
基本的に現地調達現地消費の地産地消だろ、夜伽の相手から食料まで

771. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/18(金) 01:12:52 ID:???

>>754
カイバル峠越えじゃ駄目なのかな?
チムールの生き残りもそこからインドに攻め込んだよな?

772. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/18(金) 01:46:26 ID:???

>>771
実際にモンゴル帝国のフレグ・ウルス軍やチャガタイ・ウルス軍はそっち方面からインドへ攻め込んでるけど、フビライの大元ウルス軍が陸路でインド攻めようと思ったらヒマラヤ山脈越える必要があるということ。

806. 名無し三等兵 [age] 2009/12/20(日) 15:56:26 ID:???

鎌倉時代より凄まじいくらい戦闘力が増した安土桃山時代の秀吉の朝鮮出兵軍
明の参戦で押し戻されたのが信じられない

809. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/20(日) 16:23:11 ID:???

>>806
朝鮮戦争の経緯みれば理解できると思うが、敵勢力が南から来ても質は劣る義勇軍が
米軍・国連軍を数で圧倒して次々に高地を占領、戦線を突破し再逆転した。
大陸軍は物量が圧倒的、補給が続かない海の彼方の日本や米軍では難しい。
歴史的に朝鮮半島の安全保障は中国の歴代政権が担っているんだよね。
3−4世紀は倭が朝鮮半島南部を支配していたが、結局は唐に駆逐されたし、
舞台変わってイギリスでもフランス征服はとうとう果たせず最終的に駆逐された。
経験則で大陸には勝てないと悟っていたから天智天皇以降は内向きの政治となった
徳川氏もそうだね。家光も台湾情勢に関わらなかったし。

839. 名無し三等兵 2009/12/22(火) 00:55:19 ID:V34Lkw2l

>>809
朝鮮の役も20世紀の朝鮮戦争も、先鋒が先走り過ぎた。全体的な戦線の押し上げが出来ていない。
最も朝鮮戦争の時は一時的にソウル以南まで引いたけど、その後中国軍は移動するだけでも圧倒的爆撃に叩かれっ放しで以後停戦まで北部の山に籠る。そこを米軍が虱潰しに殲滅しながらゆっくり北上してった。

840. 名無し三等兵 [age] 2009/12/22(火) 04:16:11 ID:???

>>839
主力となる徳川軍と前田軍を温存した日本軍がダメ
五大老に各々担当を割り振れば確実に支配出来ただろ

807. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/20(日) 16:02:03 ID:???

朝鮮出兵は総大将がいなかったのが敗因。

808. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/20(日) 16:10:00 ID:???

>>807
日本軍がヘボ過ぎたのが全て
明軍は二線級の部隊だった上に兵力も大きく劣っていた
なのに全く部隊間の連携が取れず毎度単独で挑んでは敗退・苦戦を繰り返していた

調略によって開戦前には決着がついているぬるい内戦しか経験していない日本軍の限界

810. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/20(日) 16:26:45 ID:???

>>808
どの道日本の国力では朝鮮半島が攻勢限界で、
戦局な有利なうちに秀吉死後和睦したしな。
あの辺が限界だよ。
第一日本軍は補給を李軍ニズタズダにされているので
どうにもならなかった。
島津が殺したけど。

813. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/20(日) 17:45:08 ID:???

>>810
いや・・・そもそもの原因は大名連中にやる気が無かったのが原因だろ?
大陸に魅力があればもっと熱心に征服しようとしていただろ?
なんとなく日本より進んでいる豊かな国だろうと思って侵攻したら、何じゃこりゃってくらいボンビーな国だった
こんなはずではorzっておもっていたからやる気もでないのだろう・・・
それが証拠にあの戦争で参戦した大名連中殆ど無傷で戻ってきたぞ?
兵力も殆ど失わずに撤退してきたしw

814. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/20(日) 17:51:11 ID:???

>>810
亀甲船が未来兵器なのはゲームだけだぞ。

815. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/20(日) 17:58:05 ID:???

>>814
最初の朝鮮出兵では沿岸の制海権を握れず、補給に大きな問題が生じて敗因となっている
再侵攻時は海戦で日本優位だったが、南部に立て篭もっていたからあまり関係ない

829. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/21(月) 11:46:56 ID:???

山形欣哉の『歴史の海を走る―中国造船技術の航跡』によると、文永の役の元艦隊の千料船は推定で龍骨長27.80m、最大幅9.24mの420?だそうだ。
これは、同時代の十字軍用ウシャー船の龍骨長17.37m、最大幅6.1mの114?と比較すると3倍以上の積載量になるらしい。
十字軍は航海距離が4000キロを超え、普通に馬も輸送していたことを考えると、元艦隊の規模は大量の馬の輸送を想定してたとしか考えられない。
最低でも金州屯田部隊4500人は完全な騎兵部隊だったはずだ。

830. 名無し三等兵 [age] 2009/12/21(月) 13:55:32 ID:???

>>829
現代でも細心の注意を払ったわずか1日の輸送で競争馬は激やせする
海上の荒波を越えて数日間程度掛けて馬を運んでも
体調が回復するまで数日間は人馬共にまともに使えない
この際モンゴル騎馬軍団は戦力外と考えるべきだ
上陸1日目に戦力と呼べるのは船になれた水軍所属の部隊と輸送時間の短い高麗軍くらいだろ

831. 名無し三等兵 2009/12/21(月) 14:36:45 ID:0lhl1Cw3

>>829
当時の高麗・宋船には竜骨はないぞ。
代わりに横梁を肋骨状に多数組んで強度を保つ型式。
そのため船倉内は小部屋状に分断されており、荷役には不便な構造。
屯数は大きくても大型の荷・馬などを運ぶのは不効率極まりない船なんだよ。

832. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/21(月) 15:11:24 ID:???

現代の競走馬はいろんな意味で進化しすぎた存在なんで
それを元にして考えない方がいいよ
競走馬はあまりにもデリケートすぎ

833. 名無し三等兵 [age] 2009/12/21(月) 17:45:26 ID:???

サラブレッドと単純比較はできないが騎馬部隊の上陸後の立ち上がりは遅いのは事実
急激な環境変化は動物なのだから体調不良になるのは致し方無い
ハンニバルなど比較的穏やかな地中海ですら苦労してる

834. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/21(月) 18:58:20 ID:???

>>833
ハンニバルが上陸後の立ち上がりは遅さで苦労したなんて話は聞かないぞ。
そもそも、ハンニバルが馬を海上輸送した後の戦いなんてザマの戦いくらいだし、
この時は騎兵の数自体がローマ軍よりも劣勢だったことが問題だった。

地中海なら元寇とは比較にならないほど長距離の騎兵の輸送が普通におこなわれていて、
例えばフランスのルイ9世は1248年8月にマルセイユで馬を輸送船に詰め込んだ後、
キプロス島を経て翌1249年5月に6000人のムスリム軍が布陣するエジプトのダミエッタに
敵前上陸し、橋頭保確保に成功してる。
馬を9ヶ月間も海上輸送したんだぜ。

836. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/21(月) 21:05:46 ID:???

元軍は馬も海上輸送した。これは確実だろ。
蒙古襲来絵詞にも八幡愚童訓にも馬に乗っている描写がある。

しかしそれが実際どの程度の規模だったのかは分からん。

838. 名無し三等兵 2009/12/21(月) 22:01:53 ID:0lhl1Cw3

>>836
絵詞みると元軍の主力は歩兵でしょ。
馬は指揮官クラスが乗っている程度で少数。
少弐景資が劉復享を射た時も、襲ってきた元軍は
歩兵70-80に対し騎馬15騎ほどしかいないし。
一方の日本軍は徒の数は不明だが、一騎あたり徒の郎党二人と仮定すると
乗馬率33%。
戦い当時における騎馬の比率は日本軍の方が多かったのは間違いないでしょ。

850. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/22(火) 16:45:04 ID:???

兵の練度の差もあるかもしれないけど、
そもそもモンゴル軍の編成は日本軍の編成と相性が悪かったんじゃないか?

蒙古襲来絵詞がどれだけ正しいかは知らないけど
モンゴル軍の編成は徒歩の弓兵がほとんどで残りは軽騎兵1割弱、擲弾兵少数、
日本軍は重騎兵主体って感じがする。
菊池武房が突撃をかけたモンゴルの部隊もほとんど徒歩だったみたいだし。

モンゴル軍の騎兵が強かったとはいえ、
挿絵を見る限り日本の騎兵と正面からぶつかり合えるような装備には見えないし
主力の弓兵も山林の多い日本では優位性が生かせなかったんじゃなかろうか

851. 名無し三等兵 [age] 2009/12/22(火) 17:35:43 ID:???

>>850
開けた草原や砂漠だけでなく南方の密林でもモンゴル軍の編成は基本的に同じ
騎兵&弓兵だよ
弓兵の一斉射撃で相手を混乱させ、騎兵が突撃し潰走させるのが基本戦術

852. 850 [sage] 2009/12/22(火) 17:58:27 ID:???

>>851
敵が混乱した際に突撃する重騎兵はラメラー着てるはずだけど
挿絵には布か皮を着た軽騎兵しか描かれてなくない?

元寇でのモンゴル軍は、遠巻きに射程武器を撃ちまくって
迎撃に出てくる日本軍を各個撃破するつもりでいたから
上陸直後に大規模な野戦がある事を想定してなかったんじゃないかな。
長柄武器もほとんど装備してない所を見ると
日本側が重騎兵を大量に揃えてくるとは思ってなくて
対策してなかったんじゃないかと思う

859. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/22(火) 23:19:17 ID:???

>>851
ごめん今見たらラメラー着てる奴ひとりいたw
前衛ではないけど槍持ってる奴もそこそこいる

ただ、やっぱり日本の騎兵の方が圧倒的に重装備だし
モンゴル軍は騎馬突撃するような編成には見えなかったよ。
挿絵が正しいかはわからないけど、騎兵部隊は陣の中にいるし
全体的に守りの体勢な感じがする。

あと文永の時のモンゴル軍は長期戦を行おうとしてたような気がする。
まず大量の兵を揚陸させて上陸地点を確保し、
数回に分けて本国から武具や馬を輸送しようとしたんじゃないかと思う。
実際モンゴル軍の矢が切れるの早かったし。
上陸した直後に相当数の日本軍と戦闘になって拠点を築くことができなかったから
本国からの輸送を待たずして撤退したんじゃなかろうか

972. 名無し三等兵 [sage] 2009/12/31(木) 05:00:27 ID:???

サムライって世界的に見てどのくらい強かったのかな

http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/1495727.html

ここの※欄に元寇についての種々の詳しい考察があるけど、
武士ってのが異常な錬度を誇る戦闘集団だったのは間違いないと思われる。

結局鎌倉武士がチートだっただけなんでは?
figma ブラック★ロックシューター (「オリジナルアニメーションDVD」同梱) figma ブラック★ロックシューター (「オリジナルアニメーションDVD」同梱)
2800円
在庫あり。
figma けいおん!  中野梓 制服ver. figma けいおん! 中野梓 制服ver.
2800円
在庫あり。
化物語 千石撫子 (1/8スケール PVC塗装済み完成品) 化物語 千石撫子 (1/8スケール PVC塗装済み完成品)
9800円
近日発売 予約可

はてなブックマークの人気記事

アマガミ -Various Artists- 4 (マジキューコミックス)

1.名無しさんでおk 2010-01-18 19:33:13

このコメントは削除されました。

2.名無しさんでおk 2010-06-27 14:34:52

元寇の神風って、御家人に恩賞を出せない鎌倉幕府と、武士の手柄にしたくなかった寺社や朝廷によるでっち上げだろ。
実際は鎌倉武士がフルボッコにして沖合いまで逃げ帰ったら台風が来て退却すら出来なかったってだけ。

ただ思うのは、中世の日本って水際防衛なんだよな。海軍による洋上防衛って概念が無い。技術的に無理だったのかね。

figma ストライクウィッチーズ 宮藤芳佳 figma ストライクウィッチーズ 宮藤芳佳
3500円
近日発売 予約可
けいおん! 秋山澪 (1/7スケール PVC塗装済み完成品) けいおん! 秋山澪 (1/7スケール PVC塗装済み完成品)
7800円
近日発売 予約可
figma けいおん!  中野梓 制服ver. figma けいおん! 中野梓 制服ver.
2800円
在庫あり。

名前
本文
 
>>○○で本文、※○○でコメント欄にレスポップアップが出来ます。